あけましておめでとうございます。
今年も新しい年を迎えることとなりました。
何か目標やらを決めて
自分自身を変えがちなのは
ご一緒の事と存じます。
変わろうが変わらまいが
何か目標を決めたくなるものでございます。
今年もまた気を引き締め
変わらない手作り菓子を
変えないよう作って参りますので
どうぞ、どうぞよろしくお願い申し上げます。
小事、小言でございますが・・・。
新年も明けたての頃は
何処か清々しい気持ちになるのは
ご一緒の事と思います。
あの、特別何も善行をしていないのにも関わらず
清々しい気持ちになるのは
私が知る限り、お正月だけでございます。
もちろん人様に寄りましては
除夜の鐘を聴き行かれたり
初詣に行かれたり
その行いで清々しさに
拍車をかけるのでございますが
私ぐらいの境地になりますと
大晦日の夜、
12月31日と1月1日を跨ぐ時刻に
自宅のトイレで流れる水流を見ただけで
「あぁ、浄化されてるなぁ。」
と清々しい気持ちになれるのでございます。
大晦日に見るトイレの水流は
ガンジス川と言っても過言ではございません。
とは言っても毎年毎年
流れ行くトイレの水流を見ていますと
どことなく
「ありがたみ」
というものが
薄れてくるのは人としての定め。
最近の私の不敬具合と致しましては
大晦日水流を見たとて
「あーガンジスガンジス。サンキュ。サンキュ。」
ぐらいのものなのでございます。
若かりし頃は
この水も海に還り、そして
いつの日かガンジスに辿り着くのか…。
あぁ、そしてガンジスの水もまた此処に。
ありがたや、ありがたや。
なんて考えていたはずなのに。
このままでは、私の清々しい正月ライフが
今後一切失われてしまうかもしれません。
おじさんになった今
ここらへんで一発
私の中で新たなガンジスを見つけ
正月の清々しさ
厳かさ(おごそかさ)
を取り戻さなければなりません。
もちろん若い頃は
初日の出を見に散歩に行ったり
友人と夜中、参拝に行ったりしておりましたが
しかしおじさんになった今、私が求むものは
ファーストフード的な清々しさ、厳かさなのでございます。
山の頂上で食べるおにぎり。ではなく
深夜に食べるカップラーメン。
愛しさと、切なさと、心強さ。ではなく
手軽さと、気楽さと、粘り強さ。
がおじさんには必要なのでございます。
もしここらへんで自分を戒めておかずに
何十年もの間、適当に
「ガンジスガンジス。サンキュ。サンキュ。」
を続けていたら
なぜそれを思い始めたのか
当初の目的をも忘れ
更には気づかない間に徐々に
ワードすら変わり始め
80歳になった私は意味もわからず
大晦日にトイレの水流を見つめながら
「ファントム、ファントム。B’z。B’z。」
と恐ろしく訳のわからないことを
言っているおじいちゃんになってしまうかもしれません。
それは明らかなNO稲葉。
今年の正月こそ、日本人らしい何かを
求めて止みません。
どうぞ心の片隅にガンジスを。